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外国語学部スワヒリ語専攻卒業生の山田美緒さんが、
2023年度 CITIZEN OF THE YEARを受賞しました。
山田さんへのインタビューを掲載しておりますので、ぜひご覧ください。

2024.4.22

代表写真候補3.jpg 株式会社KISEKI 代表、大阪外国語大学スワヒリ語専攻卒業生の山田美緒さんが、2023年度CITIZEN OF THE YEAR を受賞されました。現在のご活躍と、高校生、新入生、在学生へのメッセージについてインタビューしました。

株式会社KISEKIホームページ:https://kisekirwandatravel.com/
CITIZEN OF THE YEARについて:https://www.citizen.co.jp/coy/index.html


2301108_KISEKI-Nursery-24.jpg -CITIZEN OF THE YEARの受賞、おめでとうございます。受賞の理由となった、山田さんが代表を務めるKISEKIでは、様々な事業を展開されています。どのような活動をされているか教えてください。

インターンの提供、保育施設の運営など幅広い事業を行っています。

きっかけは、夫の仕事の関係で、移住を夢見ていたアフリカに移り、日本食レストランを始めたことです。そのなかで、子供を養うため職を求めている多くのシングルマザーと出会い、彼女たちに雇用の機会を提供しようと声を掛けました。すぐに50人ぐらいが集まってくれたんですよ。

-創設以来、KISEKIは急成長していったと伺いました。どのようなビジョンを持っていたのですか?

その他の事業は、最初から計画していたというよりは、活動している間に課題が見つかり、さらに活動広げていく、という形でした。例えば、働いてくれるスタッフに小さな子供がいれば、働いている間、誰かがその子の面倒を見なければいけません。そのようにして保育事業がスタートしました。



-事業を拡大させていく中で、常識、治安、環境すべてが日本と全く異なる場所で活動されることになったと思います。その時の気持ちや、困難に感じたことについて教えてください。

チームには全部で37人ぐらいのメンバーがいますが、その人材、能力、その能力の引き出し方、資金など、色々なことを検討し、目途が立ってから事業に取り掛かります。しかしながら、全く異なる価値観を持った人たちとの仕事なので、話がかみ合わないといったこともよく起こります。それを都度軌道修正していくのがとても大変で、一方では醍醐味だと感じています。



-例えばどのような出来事があったのでしょうか?

縫製のトレーニングセンターの運営で、事業を提案した団体との間でトラブルがありました。トレーニングセンターの運営は、もともとやるつもりのない事業でした。マーケット規模等の点で限界があると感じていたからです。ところが、別団体から、事業を始めるにあたってちょっと手伝ってくれないかと依頼されたんです。そこで、建物を建てたりミシンを寄付したりしたのですが、その団体、お金についてはすべてKISEKIに出してもらおうと思っていたようで、要求がエスカレートしていきました。結局は私たちが彼女たちを抑えて、丸々事業を引き継ぐという形で落ち着きました。トレーニングで大量に、そこそこの質で生産される製品をどう売っていくか、今も考え続けています。

もっと身近な事でいうと、道具の使い方に対する考えが全然違いますね。例えば包丁は、日本だとお料理にしか使わないと考えてしまいますが、現地のみんなは木を切ったり、ねじを締めたり、色々なことに使おうとするんです。そんなことで、日本では明文化することのないルールが必要になったりしますね。面白いんです。

-KISEKIの事業が始まった時の、スタッフさんの反応はどのようなものだったのでしょうか。

とにかく働くことに必死な方が多く、働く場所ができて嬉しそうでした。最初に始めたレストランではシェフ、クリーナー、ウェイトレスのポジションしかなかったのですが、経験がない人も、みんなまずはトライと言ってやろうとするんです。そんな必死な感じが伝わってきました

アフリカの人たちって、すごく明るくて、いつも笑っていてなんでも乗り越えている明るい人というイメージがあるかもしれませんが、うちに応募してくれたスタッフはそうではなかったんです。よくイメージされる、したたかなおばちゃんではなく、仕事がなくて恥ずかしくて、近所の人にも色々言われているような女性が多かったんです。彼女たちがうちで働くことが決まった時は、眠れないぐらい嬉しかったと聞きました。

-今はいかがですか?

今はみんな長く在籍してきたので、フレッシュな気持ちはないかもしれませんが、今も集まってくれる「どんどん雇ってほしい!」という人を見て、自分たちにもああいう時代があったな、KISEKIありがとう、と感謝してくれているのが伝わってきます。

-KISEKIには多くのスタッフが集まっていると伺いました。いろいろな団体が発展途上国などに支援活動をしているかと思いますが、KISEKIがほかの団体と異なると感じる点はありますか?

会社としては支援していても、支援される人が支援されていると感じていないという点が、ほかの団体と違う点だと思います。KISEKIでは日本人をボランティアやインターンシップ生、スタディプログラムの参加者として受け入れているので、現地の方も、チームメイトとして誇りをもって一緒に働いています。阪大の学生さんも多いですが、日本から来る学生さんの多くは、最初は上から目線で「アフリカに何か教えてやる」という気持ちでやってきます。しかし実際は現地の女性たちから教えてもらっていることが多いということに気づくんです。このお互いが学びあっていたり支えあっていたりするWin-Winの関係が、KISEKIの特徴だと思います。

また、KISEKIではプログラムの参加者は参加費を払っていて、それを資金に事業を運営しています。その分、プロのラーニングデザイナーとプログラムの設計をして、充実した受け入れ態勢を準備しています。ただインターンシップ生として受け入れるだけではなく、それ自体を一つの事業として運営している、この持続的な運営方法もKISEKIの特徴です。参加者が満足できる内容を提供できていることが、リピーターにもつながっているのではないかと思います。

-日本の学生がKISEKIのプログラムを知るきっかけの一つに、各大学での特別講義があります。どのようなお話をされているのでしょうか。

キャリア開発や国際協力、保健衛生など依頼された授業のテーマに合わせてお話をしています。基本的には、大阪外大の学生だった時にアフリカを横断して、そのあと今のキャリアに至るまでの軌跡や思考をお話ししています。

インタビュー中のスクリーンショット.png -次はご自身の学生生活についてもう少し教えてください。どうしてスワヒリ語専攻を選ばれたのでしょうか?もともとアフリカでの就職を目指していたわけではないと伺いました。

はい、アフリカへの移住は夫の仕事が理由でした。もともと夫がマラウイの青年海外協力隊に参加していて、そのつながりで出会ったんです。その頃はシンガポールで仕事をしていて、将来いつかアフリカに住めたらいいなあ、というぐらいに考えながら過ごしていました。その仕事がひと段落ついて独立するとなった時に、アフリカを選びました。治安、気候、個人起業家が十分挑戦できる小さな市場という3点がそろったので、ルワンダに移住しました。移住してからは、一応国語となっていたスワヒリ語が思ったより通じないことに気づいて、今はルワンダ語に浸食されつつありますね。

-大学入学時にスワヒリ語専攻を選んだのはどうしてですか?

国際協力や福祉の分野について学びたいと思っていて、高校の先生に相談しに行ったんです。スワヒリ語、インドネシア語、南米で使えるスペイン語、福祉の大国のフィンランドの言語などいろいろ考えたときに、先生が「アフリカはないわ」と言われました。私はみんなが興味を持たないニッチな分野を攻めていくことが好きだったので、スワヒリ語を選びました。入学してみると、クラスメイトの半分ぐらいはアフリカに興味があったり、将来はアフリカで働きたいという子でした。もう半分は、最近もいるとは思うのですが、あまりまだアフリカに深い興味を持っていない子でした。ただ、スワヒリ語の先生方は面白い先生ばかりなので、入学後にどんどん興味をもって突き進んでいくパターンもあるのだと思います。

-大学に入学する前と後で、カリキュラムや授業内容について何か感じたことはありますか?

スワヒリ語の言葉を中心に学ぶと思っていたら、色々な分野のアフリカの専門家、名だたる研究者の方々が特別講義をしてくれて、その体験に驚きました。著書の難しい内容と違って、皆さん人間らしくて、授業の後に話し込んだり、アフリカのことを研究している先生たちの世界観に触れることができて、とてもいい経験ができました。

-今(インタビュー実施時:2月下旬)大阪大学でも大学入試を終え、これから新入生が入学したり、新しい高校3年生は本格的に進路を考えることになります。その学生さんたちに、進路選択についてのアドバイスはありますか?

受験については、私もものすごく勉強したタイプなので、がんばれとしか言えないのですが、入学した後は、自分の置かれている環境を最大限に利用してほしいと思います。私はもちろんアフリカに興味がありましたが、それ以上に先生方との交流を最大限に楽しんだと思います。ただ単純に授業に出て、ノートだけ取って定期テストに合格するというだけではなく、色々なことを吸収できるようにしてほしいです。

私の場合は、当時は色々な学科の授業を受講することができたので、インドの先生の授業を受けてみたり、アラビア語の授業を聴講したり、持続可能な開発をテーマにした講義を受けたりしました。自分の専攻の授業と同じぐらい受講していたと思います。さらに、教科書が基本は英語で書かれていたので、英語の能力も一緒に伸ばすことができました。

私の学生時代と少し制度も変わってしまっていて全く同じようにはできないかもしれませんが、「ただ阪大に入りたいからこの専攻を受験しました」というだけではもったいないです。自分は今何ができるのか、将来につなげるため、学びを最大化するためには何をしたらよいのかということを常に考え続けて、無駄のない4年間、KISEKIに来てくれたら5年間ですが(笑)、過ごしてほしいと思います。

-山田さんは、特に女子学生にとって大変興味深いキャリア像だと思います。特に女子学生に向けて、キャリアについてのメッセージはありますか?

KISEKIに来てくれる学生さんとも話をすることがあるのですが、結婚や出産というイベントのために夢を諦めざるを得ないと言う子がいます。私はそうは思いません。私の場合、結婚して、20代で出産、育児を経験しました。育児をしながらも自転車での冒険やイベント、シンガポールでの起業も続けてきました。育児と仕事を8年間両立してきましたが、その中で、子供たちに与えてあげられる最大の環境を整えることだけは続けてきました。そんな実行力と行動力があれば、皆さんも何一つ諦める必要はないと思います。日本社会だと難しい部分もあるかもしれませんが、世界に飛び出ると子供を連れてバリバリ働いている人もたくさんいます。外国語学部で学んだ語学力やコミュニケーション能力を生かして、海外も視野に入れて人生を築いていってほしいと、同志として思います。

-最後に、山田さんご自身が今持っているビジョンをお聞きしてもよろしいでしょうか?

私は常にゴールや夢をもって活動するというよりは、出てくる課題を片っ端から片づけていくタイプです。そんな中であえてビジョンを持つとすれば、今後のルワンダの政治社会でトラブルがあったり、事業のメインターゲットの日本人が少子化などでアフリカに来なくなったりなど、起こりうる色々な社会課題や不安に会社として対応できるようにしたいです。スタッフ、社員一人一人が自分で考えて行動して、課題解決方法を生み出していけるチーム作りを私が進んでやっていきたいと思います。

-本日はお忙しい中ありがとうございました。

ありがとうございました。



(インタビューした日:2024年2月29日、聞き手:庶務係 山﨑 有紀子)