フォルケホイスコーレへの留学 堀田千尋(留学時3年生)


 


 
   

【留学先学校名】
・Rønde Højskole(2012年8月~2012年12月、2013年6月~2013年7月)
・Silkeborg Højskole  (2013年1月~2013年6月)

私は夏の短期サマーキャンプを含めRønde Højskoleに約半年、Silkeborg Højskoleに約半年留学しました。Rønde Højskoleは60人弱の生徒数でefterskoleという9、10年生の生徒を対象とする寮制の学校に併設されています。この学校ではメインのコースとして教育学を選択し自由選択のデンマーク語の授業も受けていましたが、より強烈な印象が残っているのがアドベンチャーの授業です。学校から歩いていける海でカヤックをしたりクライミングをしたり森でテントを張ってキャンプをしたりと、日本で大学生活を普通に送っていたら絶対に経験できない、しようと思いつきもしないことをたくさん経験しました。その授業の一環として5日間風呂、トイレ無しテント泊のノルウェーキャンプにも参加しました。体力的にも精神的にも辛いこの旅を終えたあとほど、暖かい屋内で温かい食事をし温かいシャワーを浴びて清潔でふかふかのベッドで寝られることの幸せを感じたことはありません。

 Rønde Højskoleは授業外で教師が生徒たちの生活へ関与することが少なく、学校を挙げて大きなイベントを行うこともあまりありませんでした。集まった生徒によって違うと思いますが、私たちの代は授業以外の時間は個人個人がそれぞれ思い思いの自由な生活を送っていました。そんなRønde højskoleとは違い、Silkeborg Højskoleでは生徒と教師の関係がより密で、生徒と教師が一緒になってイベントを計画することも多くありました。その分ひとつひとつのイベントは大掛かりで、生徒の中で結成された実行委員はテーマ決めから準備、当日の進行まで忙しく働いていました。Rønde Højskoleよりもメインのコースを重要視しているこの学校では授業外の時間でも作業を行うことが多く、アートコースを選択していた私は夜の空き時間によくアートの教室で作品制作をしていました。自由選択授業の時間以外は音楽コースの生徒たちのバンド練習が常に聞こえるなど、他のコースの生徒もそれぞれが様々なことに打ち込んでいました。

 留学中にはデンマーク人だけではなく他の国からの留学生や、紛争などの理由からやむを得ず母国を離れてデンマークで移民として暮らしている人との出会いもたくさんあり、その出会いはこの留学中のもっとも貴重な経験のひとつでした。テレビや新聞ではそこで起きた出来事のみが報じられ人間ひとりひとりの声はなかなか日本まで届くことがありません。どこか現実のこととしてとらえていなかったものが急に身近に感じられるようになって大きなショックを受けたと同時に、自分はものすごく恵まれた環境でそれに甘えて育ったことを実感しました。私と同年代かそれより年下の子たちが耳を疑うような辛く苦しい経験をしていて、でもそんなことを全く感じさせないほど陽気な彼らに何度も元気づけられました。テレビで流れる悲惨な映像を見ていただけの私は、母国より明らかに安全で経済的に豊かなデンマークに移り住んでいる彼らの「帰りたい」という言葉に非常に衝撃を受けました。紛争があっても政治的に不安定で貧しくてもそれでも帰っていいと言われたら今すぐに国に帰る、自分の国を世界で一番愛している、という言葉が頭から離れません。 

留学前はデンマークに来さえすれば自然にデンマーク語力は伸びると思っていました。しかしそれはとんだ勘違いでした。相手の言っていることが分からなかったり自分の言いたいことがうまく伝わらなかったりすることを怖がっていた私は誰かと会話することが一番の上達法だとわかっていてもなかなか自分から話しかけられず、せっかく話しかけてもらっても早々と会話を切り上げてしまうこともありました。でもそんな苦しい時期を経験したことは自分をたくましく成長させてくれました。デンマーク語が劇的に上達したとは口が裂けても言えませんが、この留学で得たものは本当に大きく、一生の宝物です。