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このページではカシュミール問題の最新情報を掲載しています。
基本情報 | 最新情報(ニュース)

○基本情報
(注)本項の記述は、本学ウルドゥー語専攻の意見を代表するものではありません。

1.カシュミールが紛争原因に至った経緯 ―3度の戦争―
(1)第一次印パ戦争(1948年5月)
 1947年8月の印パ分離独立に際し、インド亜大陸各地にあった藩王国は、イギリスからインド、パキスタンのどちらに帰属するかの判断を求められた。
 藩王国の1つであったカシュミールでは、当時の藩王ハリー・スィング(ヒンドゥー教徒)が、パキスタンへの帰属を要求して立ち上がったイスラーム教徒を押さえるため、印側に援軍を要請し、そのままインドへの帰属を表明。→印が、カシュミールは印領であるとする根拠。
 インド軍へ対抗する形でパキスタン軍が参戦し、第一次印パ戦争勃発。その後、1949年1月の国連決議により、両国が停戦勧告を受諾し、現在の実効支配線(Line of Control)の原型となる停戦ラインが決まり、最終的に「自由で公平な住民投票」の実施により帰属を決定することを確認。→パが、住民投票実施を要求する根拠。
(2)第二次印パ戦争(1965年8月)
 カシュミール地域でのパキスタンによるゲリラ攻撃にインドが応戦し、勃発。9月の国連による停戦協定後、1966年1月にはソ連が仲介し、タシュケント宣言を採択して両国が停戦ライン遵守に合意。同宣言はカシュミール問題に触れず。
(3)第三次印パ戦争(1971年12月)
 東パキスタンの独立をめぐり、対立。1972年3月のバングラデシュ独立によりパキスタンが敗戦。同年7月にシムラー協定調印。→実効支配線の確定、二国間の対話によるカシュミール問題の解決を求めるとした内容。
(4)1990年代以降
 ソ連軍のアフガニスタンからの撤退(1989年2月)を機に、いわゆる「ムジャーヒディーン」がイスラーム教徒を支援する目的でカシミール地域に潜入し、テロ活動開始(パキスタンの三軍統合情報部(ISI)が側面支援)。
 →→1999年のカールギル危機や、2002年の印軍キャンプ襲撃を発端とする緊張

2.両国の主張
(1)インド
 世界最大の世俗国家(Secular State)を自認するインドとしては、イスラーム教徒が多いという理由でカシュミールがパキスタンに帰属することを看過できない。また、独立時点で当時の藩王がインドへの帰属を明確に表明しており、帰属文書にはパキスタン側代表者の署名もある。したがってカシュミールはインド固有の領土であり、カシュミールをめぐる問題はインドの国内問題。また、シムラー協定は印パ二国間対話による解決を明記しており、第三国の仲介は同協定違反。
(2)パキスタン
 「南アジアで唯一のイスラーム教徒によるイスラーム教徒のための国家」という建国理念があり、住民の多数(約70%)がイスラーム教徒であるカシュミール地域は、住民の意思に基づき、パキスタンに帰属すべき。1948年の国連決議でも住民投票の実施が明記されている。それを実践しようとしないインドは国連決議を無視しており、国際問題。また、インダス水系の水利権も絡み、譲ることはできない問題。

3.諸外国の立場
(1)アメリカ
「国連決議に従い、二国間での話し合いによる解決を望む」として、積極的に仲介する意思無し。
(2)中国
当初、パキスタンを支持。アクサイ・チン地域をめぐりインドと対立(1962年中印紛争)し、タシュケント宣言を米ソの陰謀として非難。パキスタンへの軍事支援などにより、南アジア地域へのロシアの影響を牽制。最近はインドとの国境問題で譲歩の姿勢を示し、インドとの関係改善を模索している。
(3)ロシア(ソ連)
タシュケント宣言により、中国の影響を牽制。当初インド寄りだったが、最近のロシアからはカシュミール問題への言及はほとんどない。

4.カシュミール問題の今後
 2003年4月、カシュミール地方を訪問したヴァージパイー・インド首相(当時)が、対パキスタン関係改善容認発言をしたことから、印パ間に信頼醸成の気運が高まっているが、インドの「カシュミール問題はインド国内の問題」であるという基本姿勢に変化は見られない。2005年10月のパキスタン北部地震は、印パ間の救援活動の協力体制構築の一助となっているが、それ以上の効果は現時点では期待できない。ただし、両国間の信頼醸成が継続する限り、急激に悪化する方向に進むこともないと考えられる。

○最新情報
2006年
5月23日
○スリーナガル市内で爆弾が爆発
 マンモーハン・スィン首相の訪問を翌日に控えたジャンムー・カシュミール州の州都スリーナガルで、何者かが仕掛けた爆弾が爆発し、国境警備隊の少なくとも25人が負傷した。当局によると、国境警備隊が乗ったバスに対し爆弾を乗せた自動車が衝突したもので、運転手は死亡した。24日からの円卓会議は予定通り開催される。(23日付BBC Urdu.com)
 
3月29日
○ハルカトゥル・ムジャーヒディーン指導者を襲撃
 モウラーナ・ファズルッ・ラハマーン・ハリール(Maulana Fazal-ur Rehman Khalil)ハルカトゥル・ムジャーヒディーン代表が、夕刻、イスラーマーバード郊外のモスクの前で何者かに襲撃され、負傷した。スルターン・スィヤー同団体報道官は、ラーワルピンディー市内の病院に運ばれたものの重体であると説明した。事件の背後関係等は不明。(29日付BBC South Asia)
(解説) この団体は、アフガニスタンからのソビエト撤退後にハリール代表により結成されたもので、当初は「ハルカトゥル・アンサール」と称していた。1994年には米国務省からテロ組織との認定を受けて以降、団体名を現在のものに変更して活動を継続していた。2001年にはムシャッラフ大統領が活動禁止処分を下している。


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