留学体験談「Rødding Højskoleでの熾烈な5ヶ月間」永瀬さくら(留学時3年生)


【留学先学校名】
・Rødding Højskole(2022年2月~6月)

こんにちは、デンマーク語専攻4回生の永瀬です。帰国して約半年が経とうとしている今、留学体験記に手をつけています。思えば去年の今頃は、予断を許さない新型コロナウイルスへの恐怖を抱きつつも、2月から始まる留学への期待を膨らませていました。今回は私がデンマークで過ごした熾烈とも言える5ヶ月間を、少しだけご紹介させてもらおうと思います。



 私が留学先に選んだのは、Rødding Højskoleというデンマークで最も歴史の深いフォルケホイスコーレです。Grundtvigというフォルケホイスコーレの礎を築いた人の影響を強く受けている学校で、授業棟の壁一面に彼の顔がデザインされていましたし、彼の名前がwi-fiのパスワードにもなっていました。この学校はデンマーク語でのみ授業を行なっているため、インターナショナルの生徒が入ってくることは稀で、私の場合、学校で唯一の日本人であり、唯一の外国人でした。2月、空気が冷たく耳まで赤くなっているのに、乾燥していて日本の冬ほど骨まで染みるような寒さではありませんでした。北欧だからか空の透明度が高く、雲も遥か上空を漂っているように感じました。そんな中、常に102人のデンマーク人に囲まれながら24時間を過ごす生活が始まったのです。
 この学校も例に漏れず全寮制で、3人部屋か4人部屋に割り振られます。私はSiljeとAndreaという同年代の二人と、たった6畳半ほどの部屋で所狭しと暮らしていました。寮は全部で5つあって、寮ごとの長机に座ってみんなでご飯を食べます。まるで映画ハリーポッターを彷彿とさせました。授業は、7つの主専攻と40の副専攻から大学のように自分で時間割を組みます。私は自給自足を主専攻とし、副専攻は文学や球技、合唱、鋳造、ピアノ、サイクリングなどいろいろな授業を取りました。日本では興味すらなかったことや、やりたくてもなんだかんだ言い訳をつけて挑戦していなかったことに乗り出すことができました。
 主専攻の自給自足の授業では、鍛治仕事でS字フックやナイフの刃を作ったり、畑を耕したりビニールハウスを一から作ったり、さらにはレンガで壁を作ったりとあらゆることを自分の手でやりました。純粋に肉体労働だったので毎日全身筋肉痛になりましたが、コロナ禍のオンライン生活で疲弊していた心と体に本来のエネルギーが戻ってきたように感じました。私たちは3匹の豚と12匹の羊も飼っていて、豚は最終的に屠殺・解体していただきました。慣れない海外生活の中、豚は私の良き友だったのでショックは大きかったのですが、命について考え直す良い機会となりました。皆さんが実際に豚を見たことがあるかわかりませんが、半年で信じられないくらい大きくなるんですよ。最初は檻の隙間から逃げ出してしまうくらいの大きさだったのに、半年後には私が押してもびくともせず、逆に私が吹っ飛ばされるほどでした。



 学校生活に欠かせないものといえば修学旅行ですが、私たちの学校は2回もありました。まずは学校全体でスウェーデンに9日間、それから主専攻ごとの旅行もあり、私たち自給自足専攻はノルウェーに10日間行きました。修学旅行というと長くても2泊3日くらいだと思っていたので、これほど長くスウェーデンとノルウェーを旅行できるということは、北欧専攻の私にとってはうってつけでした。しかし、彼らの旅行はただ観光地をめぐるなんてものではなく、ゴットランド島の岩浜を延々と歩かされたうえにストックホルム20キロ行軍、毎日夜中までなんらかのイベントを開くくせに翌朝は6時起きが当たり前、ノルウェーのフィヨルド登山(2回)、北極海での海釣り、さらには北極圏での寒中水泳と、超過酷な日程が組まれていました。旅行というよりは修行に近かったです。しかしやはりノルウェーの白夜と聳え立つ壮大なフィヨルドを体験できたことはとても良かったです。



 普段の学校生活でもことあるごとにハイキングに出かけるので、足腰が強くなるという留学の思いがけない副産物もありました。中でも中央ユラン遠足は地獄で、雨と雪の中沼地を永遠に歩かされ、体力のあるデンマーク人でさえヘトヘトになっていました。私はもはやデンマーク語を喋る気力すらありませんでした。しかし、これだけでは終わらず、イースター休暇前のイベントで、ヒッチハイクツアーなるものをさせられました。ヒッチハイクをしながら3つの目的地を周り、次の日の17時までに学校まで戻るというものです。一銭も持たずに。移動手段、食事、泊まるところも全て自分たちで用意しなければならず、同じ班の2人と四苦八苦しながらも数多くの方々に助けてもらい、なんとか無事に生還することができました。
 Røddingでの生活は、私が想像していたデンマークでの生活とはかけ離れた過酷なものでした。元々は少しペースを落として自分のやりたいことを見つめ直してみるきっかけになればいいな、という理由もあって留学したのですが、平日は朝8時から夜の10時くらいまでスケジュールが詰められていて、週末はほとんどパーティーで朝までどんちゃん騒ぎでした。とはいえ、ほんの少し与えられる自由時間では、北欧らしい静かでゆったりとした時間を過ごすこともできました。滞在も終わりに近づいてきた5月頃、デンマークではひと時の夏が始まりますが、天気の良い日にみんなで外の芝生の上で何をするでもなくただ寝転がったり、本を読んだり、カフェをしたり、チェス(デンマークではスカックと言います)をしたりとだらだらしたのもいい思い出です。どうしても辛くなった時には、週末に旅行という名目で学校から逃亡したり、ふて寝したりしていました。



 以上を読んでもらったらわかるように、私の留学はただただ楽しいというものではなく、むしろ辛いことの方が多かったです。言語面では、実際に若い人たちが話しているデンマーク語の速度、不明瞭な発音や方言についていくのが大変でした。大学で割と真面目に勉強したはずなのにここまで通じないのかと途方に暮れる毎日でした。しかし、周りの子たちが話しているデンマーク語をとにかく声に出して真似ることで、より生きたデンマーク語を学ぶことができました。留学の醍醐味ですね。
 やはり文化の違いに戸惑うことも多かったです。しかし、自分がと異なる文化圏に行くことで、自分の持つ文化が相対的になり、無意識のうちにかかった自分のバイアス、さらには自分に向けられたバイアスを認識することができました。留学と聞くと現実逃避だのモラトリアムだの否定的な意見を耳にする方も多いと思います。確かにそういった動機で留学に行くのであれば私もおすすめはしません。留学に行くと、何よりも自分自身と自分の文化に向き合うことになるからです。私たちのネイティブの先生が、日本に来て自分がデンマーク人だということを感じると話していました。私もまた、デンマークでの留学生活で自分が日本人であるということを痛感しました。しかしその点に気づけたおかげで、より世界が広がったように感じます。
 また同年代が共同生活をするので、当然トラブルも起こりました。私が巻き込まれることもありましたし。その反面、学校のみんなにはものすごく助けてもらいました。一人浮いている私に一緒に行こうといってくれたり、話しかけてくれたり、フィヨルドで体調不良になった私の横で何も言わずただ一緒に歩いてくれたり、当時は余裕がなくそんな厚意にもストレスを感じてしまうこともありましたが、今では感謝の気持ちでいっぱいです。おかげで生き抜けたと本気で思います。
 最後に、私が滞在中に一番よく使った言葉“Det skal jeg prøve”を紹介します。彼らから、何か知らないけどとりあえずやってみるという姿勢を学び、それを実際に(強制的であれ)実践できたことはかけがえのない宝です。辛いことが多いと書いてしまって、読んでくださる方の気持ちを折ってしまうのではないか心配ですが、留学するかどうか迷っている方は、ぜひ新しい環境に飛び込んでみてほしいです。留学中は辛いし不甲斐ないしボロボロでしたが、無事生還した今となっては、いい経験だったと笑い飛ばせます。