2005年12月20日
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 アフガニスタンと国境を接する、北西辺境州の州都。地名が「国境の町」を意味するとおり、昔から、南アジア世界と西アジア、中央アジアを結ぶ東西交易の要衝として発達してきた。いわゆる「アジア・ハイウェー」上に位置しており、ハイバル峠を経て60キロでアフガニスタンとの国境に接する。
 盆地であるために酷暑期(4月〜9月)は気温が40度を超え、冬期は冷え込みが厳しい。民族的にはパシュトゥーン人が主流であり、言語もパシュトー語が用いられて、近年ではパシュトー語のテレビチャンネルが放映されている。国語、教育言語としてのウルドゥー語は都市部であればほぼ理解される。

 古く紀元前8世紀頃には「ガンダーラ地方」の中心地として栄え、2世紀のクシャーナ朝の都となった。近郊にはスワートやタフティバーイーなど多くの仏教遺跡が残っている。市の中心部、旧市街には「キッサ・ハーニー・バーザール」と呼ばれる最大級のバーザールが賑わっているが、この「キッサ・ハーニー」とはペルシア語で「物語を読む」という意味であり、中央アジアや南アジアを往来した人々がこの地に逗留し、各地で見聞した様々な事物や情報を語り合ったと言われている。現在もこのバーザールには生活用品の商店が軒を並べつつ、隊商宿の名残をとどめる建造物やチャーエ・ハーナと呼ばれる喫茶店が数多くあり、「カフワ」という砂糖を混ぜた緑茶を啜る人々の姿が見られる。

 バーザールは布屋、金物屋、カーペット屋、靴屋、香辛料屋、両替商などが同業者単位で小さな路地を埋め、ロバの背などに荷を乗せた人々が行き交い、活気にあふれている。金銀細工のバーザールには、この町で最も歴史あるといわれる「ムハバット・ハーン・マスジド」(モスク)がある。

 旧市街の脇には壮大な「バーラー・ヒッサール」と呼ばれる英領期の要塞が残るが、現在は軍の駐屯地となり、一般人が入ることは出来ない。この「バーラー・ヒッサール」脇に線路が敷かれ、これをはさんで英領期に造られた軍管区・新市街が発達している。軍管区には官公庁をはじめ、ホテルや博物館、アフガニスタンの絨毯や民芸品を売るショッピングセンター等が並んでいる。

 アフガニスタンとパキスタンの国境線は1893年にアフガニスタンのアブドゥッラフマーン王と英領インドのデュアランド全権代表との間で策定されたが、この地にすむ人々は現在もなおこの国境を自由に往来している。このため、ペシャーワルは、アフガニスタンからの人々が南アジアに入る拠点として発達した。

 1947年のパキスタン独立に際し、パシュトゥーン人はパキスタンへの帰属を決定したが、その前後からパシュトゥーン人による自治運動「パシュトゥニスターン運動」が活発化し、アフガニスタン政府がこれを支援したために、パキスタンにとっては内政・外交上の懸念事項であった。ペシャーワルはこの運動の拠点としても重要な位置を占めた。

 冷戦時代、ペシャーワルはアフガニスタンを巡る西側諸国の最前線として発達し、西側諸国の支援によりアフガニスタンまでの道路などが整備された。1979年に始まった対ソ連戦争では200万人以上の難民がペシャーワル郊外に流入し、戦争の長期化と内戦の継続により難民の定住化が進み、パキスタン経済や社会は負担を抱えることとなった。また、「カラシニコフ文化」と呼ばれる銃器の製造が近郊の町で発達したり、アフガニスタンで栽培される麻薬がパキスタンに運び込まれるなど、国内の治安情勢に悪影響を及ぼす事態も起こった。さらに、パキスタンとアフガニスタンの間で締結された交易協定によりアフガニスタンへの輸入品がパキスタンに陸揚げされる場合は関税が課税されない事を利用して輸入された車や電化製品などが正規の輸入品よりはるかに安価でペシャーワル郊外の市場で売られるようになり、パキスタン経済を圧迫した。

 1994年秋のアフガニスタンにおけるターリバーン台頭の際、ペシャーワルやクエッタ近郊のパシュトゥーン人を主体とする難民がターリバーンに参加するためにアフガニスタンに帰還した。2001年末のターリバーン政権崩壊とカルザイー新政権の樹立によるアフガニスタンの復興が進むと、多くの難民が自主帰還したが、実際にはパシュトゥーン人による国境を超えた行き来は続いている。

 ペシャーワルから15キロほど西進すると「連邦直轄部族地域(FATA)」がはじまる。ここはパシュトゥーン人部族による自治が行われ、独特の泥壁に囲まれた要塞のような家屋に一族が住み、人々は「パシュトゥヌワレイ」と呼ばれる慣習法に従って生活している。2002年の総選挙では、いわゆるイスラーム政党の連合体である統一行動評議会(Muttahida Majlis-e Amal: MMA)が州議会の単独第一党となった。

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