本学ビルマ語専攻の沿革です。本専攻は60年を超える歴史があります。敬称は略してあります。
                      
大正11年大阪外国語学校設立。当時は、支・蒙・馬・印・英・仏・独・露・西の9言語のみであった。
昭和19年4月大阪外事専門学校となる。
昭和20年4月日本で初めてのビルマ語の教育機関として大阪外事専門学校ビルマ科設立。太平洋戦争の真っ只中での設立。ビルマは昭和17年から日本が占領していた。このとき23名が入学した。当時の専任教員は矢崎源九郎のみであった(ちなみに俳優の矢崎滋の御尊父である)。非常勤として原田正春(現本学非常勤原田正美の御尊父)が任にあたる。
昭和21年矢崎源九郎が転出。
昭和22年この年から服部正一が非常勤として教鞭をとる。
昭和23年川崎直一(言語学者小林英夫の弟子)が主任教授として着任。服部正一は専任講師に。原田正春も引き続き非常勤として任にあたる。
昭和24年5月大阪外国語大学ビルマ語学科となる。この年にタイ語学科も新設される。つまり東南アジア大陸部の言語としては、ビルマ語学科の設立が最も早かった。原田正春が専任の助手として着任。当時はモンゴル語、タイ語、ビルマ語、アラビア語は隔年募集であった。専任教員は川崎・服部・原田の三人体制となる。
昭和40年大野徹が専任の助手として着任。本学ビルマ語の出身。このときから服部・原田・大野の体制となる。
昭和53年服部正一が定年退官。後任に南田みどりが専任講師として着任。原田・大野・南田の体制となる。
昭和56年11月原田正春が病気で亡くなる。
昭和57年4月原田正春の後任として藪司郎が助教授として着任。大野・藪・南田の体制となる。
平成13年大野徹が定年退官し、後任に加藤昌彦が助教授として着任。藪・南田・加藤の体制となる。
平成21年藪司郎が定年退職し、後任に井上さゆりが講師として着任。南田・加藤・井上の体制となる。
平成25年南田みどりが定年退職し、後任に池田一人が講師として着任。加藤・井上・池田の体制となる。

マンダレー・ミッチーナー間の車窓の風景


ヤンゴンの動物園